最後に会った時、三好、いや、真木克彦はこんなことを話していた。

「ミレーのオフィーリア、彼女は生きているのか、死んでいるのか、どっちだと思いますか」
任務とは関係のない雑談。真木の好きな美術の話題だ。

慣れない異国の地での情報収集、たった一年でよくぞここまでまとめたものだ、と思えるような量の情報を俺に渡して、重責から一瞬解放されたのだろう。
真木は多弁だった。
美術の話になると、気の強そうなつり上がり気味の大きな瞳が強く輝き、異彩を放つ。努めておとなしそうに見せかける必要も今はなく、本来の彼が顔を出している。
それは無邪気といえるほどだった。
この男が、ドイツのスパイを束ねるスパイマスターだと、誰が想像できよう。
美術に命を賭ける、美術商の真木克彦。
そんな彼の仮面は、もはや剥がれ落ちることもないほどぴったりと、彼の顔に吸い付いてしまったようだ。

「ドイツの生活が合っている様だな」
やや皮肉めいた口調でそう言うと、
「不満はありません、うまくやっていますよ」
やや自信過剰な、不敵な表情でそう答えた。
「ナチスの動きはどうだ」
「いまのところ変わった動きはありません。油断はできませんが」
「スパイ容疑で日本人が拘束されているらしいという情報もある」
「密告されるようなドジは踏みませんよ」

「だといいが。貴様は自信過剰なところが玉に瑕だな」
そう言うと、真木はやや不満気に一層目を吊り上げ、頬を染めた。

「ドイツ人に気づかれなくても、味方だと思っていた奴に売られる場合もある。
いつ何が起きてもおかしくはないのだ」
「わかっていますよ。でも僕は」
ソファから立ち上がり、真木は右手で自分の胸を指した。
「けして失敗などしない!いままでも、そしてこれからも・・・」
珍しいほど興奮している。
やはり長い潜伏生活で、それなりにストレスを感じているのだろう。
異国での厳しい生活は、人を極限に追い詰める。

「まあ、座れ」
俺が言うと、真木はどさりと操り人形のようにソファに腰を下ろした。
そして、
「久しぶりの日本語が嬉しくて、しゃべりすぎました」
反省めいた言い訳をした。
俯いた表情は見えない。

「おしゃべりは、スパイには向かない」
そう言うと、
「意地悪ですね。結城中佐は」
諦めたように笑い、長い前髪を掻き揚げた。


ベルリン病院で、真木の遺体と対面した時、思い浮かんだのはオフィーリアの画だった。大きくてつぶらな瞳をしっかりと見開いたまま、真木は絶命していた。

その5日後に葬儀があった。
神父に扮して、参列した俺は、赤い薔薇を手にした銀髪のドイツ青年に目を留めた。真木と同じくらいの年恰好だ。憂鬱そうな眼差しに、ホンモノらしい悲しみが宿っている。まるで恋人を失ったみたいに。青年は、真木の横たわる棺に赤い薔薇を投げ入れた。
寄せ集めの参列者による形ばかりの葬儀だと聞いていたが、あの青年は、生前の真木となんらかの関係があったのだろう。そう推測した。
一年も暮らしたのだ。異国のドイツで。
恋人がいても不思議じゃない。
真木克彦は、それなりにドイツの空気に溶け込んでいたのだろう。
いや、それどころか、彼は水を得た魚のように生き生きとしていたではないか。


「ミレーのオフィーリア、彼女は生きているのか、死んでいるのか、どっちだと思いますか」
真木の悪戯っぽい眼差し。

俺は腕時計を見た。
真木の代わりは、もうベルリンに入る頃だ。

だが、真木克彦の死は、思ったよりも堪えた。
俺も年を取ったのかもしれない。
































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