辻。
そう呼ばれた気がして、目を開けた。

まだ気温は下がりきらず、暑くて小屋から顔を出した。
ご主人の部屋を見ると、まだほのかに灯りがついていた。
ぴくっと耳が反応する。
ご主人の声だ。ああ、また・・・。
いつもの優しい落ち着く声ではなくて、幾分高い女のような声で、鳴いている。
でも、この声も俺は嫌いじゃない。ただ、心配になるだけだ。

川の方から少し涼しい風が這ってきた。先ほどよりも少しは意識がはっきりしてきて感じる。
なんだか、いつもより苦しそうだ。息が苦しいのだろうか。病気になってはいないだろうか・・・。
ふとおもいだす前の俺の飼い主。最期に苦しそうに息をしていた。あんなふうに突然倒れてしまったら俺はどうしたらいいのだろう。全身の毛が逆立った。
嫌だ。ご主人とは、別れたくない。
「ワン!ワンッワンッワンッワンッワンッ!ウー・・・ワンッワンッワンッワンッ!」
夢中で吠えた。
結城さんが来てくれれば助かるかもしれない。
起きて、ご主人を助けて!誰か、助けて!

すると突然ご主人の部屋の窓に人影が見えた。
そして窓をガラガラと半分ほどあけて顔を出した。
それは、夕方に着ていた浴衣を肩から羽織ったご主人だった。
髪は乱れて汗で頬にくっついているし、目は涙で潤んでいて、頬は赤く染まって息を乱していて・・・。
俺はさらに心配して、「クゥン!」と鳴いた。

「辻・・・。大丈夫だよ。大丈夫」
荒い息でそう言うご主人は、とても大丈夫には見えなくて、俺はさらに心配になった。
「クゥーン・・・」
そう呼んでみても、ご主人は俺をあまり見てくれなくて、でもそれでも少しだけ目が合うと、恥ずかしそうに、それからなんだか幸せそうに微笑んだ。
「辻。大丈夫だから、おやすみ」
そう言ってご主人が窓を閉めようとすると、その隙間に、ご主人じゃない誰かのごつごつとした手と袖口が見えた。あれは、結城さんが着ていた浴衣だ。
薄暗い部屋の中で、ご主人はその細い腰に腕を回されて、そのまま後ろに引っ張られるように見えなくなった。
少しだけ開いていた窓はそのままに・・・。
俺は見てはいけないものを見たのだと思った。
あの結城さんという男はやはり人ではないのだ。
そして、ご主人も、もしかしたら人ではないのかもしれない。
でなければ、あんなに綺麗なはずはない。

開いたままの窓からは、ご主人の切ないような吐息や鳴き声が聞こえてきて、しかしそれは、甘く妖しげで、この世のものではないようで。
俺は小屋に籠ってできるだけ聞こえないようにして無理やり眠った。
























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