簡易宿の部屋は狭くて、布団が2組並べて敷いてあり、横に机があるだけの部屋だった。
嵌め殺しの窓に色褪せたピンク色のカーテンがかかっている。
部屋の中は蒸し暑い。
甘利は布団に田崎の身体を横たえると、角にある扇風機をつけた。
ぶうん、と羽音のような雑音を立てて、扇風機が回り始める。
少しはましになった。
さっき、田崎を背負って宿の玄関を入ると、小さな覗き窓から顔を出した老婆が、黙って鍵を出し、奥の部屋を指差した。
男同士の客にも慣れているらしく、別段不審そうなそぶりもない。
狭くて薄暗い廊下を伝って、奥の部屋へと向かう。
部屋のドアに鍵を合わせると、かちりと開いた・・・。
布団が2組並べて敷いてあるのが目に入った。
完全に連れ込み宿だ。男同士で来る場所ではない・・・。
そんなことを考えていると、急に喉が渇いてきた。
机の上に瓶ビールが置かれていた。グラスはふたつ。
甘利はビールの栓を抜くと、グラスにビールを注いだ。冷えてはいないが、ぬるいというほどではない。甘利は喉を鳴らしてビールを飲み干した。
田崎は眠っている。もともとが警戒心のないお坊ちゃん育ちなのだろう。
自分とは違う・・・と、甘利は思う。
「こんな場所、お前には似合わねーよ・・・」
甘利はぼやいた。
だが、もしも・・・全てが計算ずくだとしたら?
田崎は誘っているのだ。炎に飛び込む虫を集めるように。
手を伸ばせば届くのだろう。ただ、今夜だけは・・・。
いつもの沈着冷静なポーカーフェイスを突き崩してみたい衝動。
甘利が感じた欲望はそれだった。
昼間は淑女、夜は娼婦。それが男の理想の女なのだ。
だが、同時に一線を越えてしまった後の、自分はどうなるのだろうか。
いままでのように、頼れるいい兄貴分というキャラではいられないだろう。
田崎と仲のいい学生たち、三好や波多野、実井、小田切、福本・・・そして、結城中佐に至るまで、嫉妬心を感じないではいられないだろう・・・。
それはある意味地獄だ。
そこまで想像して漸く、甘利は田崎の嫉妬心を理解できた。
暗く、人に言うことさえ憚られる想い。だからこそそれはより重く、より深く、魔物のように心の中に巣食い続ける。
やがてそれは、他人に指摘されるまでに激しく燃え上がるのだ。
甘利は布団の上に寝ている田崎の顔を覗き込んだ。
「田崎、大丈夫か?・・・お前、どういうつもりだ?」
「・・・」
田崎は無言で目を開けた。
「もし、俺が思っているとおりなら考え直せ。お前らしくない。三好を諦める為に、俺を利用したいならそれでもいいが、お前はどうなんだ?」
「・・・わからない。とにかく忘れたいんだ。でも、忘れられるかどうか、俺にも、わからない・・・」
「この俺を相手にしても忘れられないって言うのか!?随分侮ってくれるんだな・・・!」
甘利はコップに入っていたビールを田崎の顔にぶちまけた。
「・・・甘利・・・」
「ふざけんじゃねーぞ!あいつのことくらい、一晩あれば忘れさせてやれるぜ!」
そう言い切って、甘利は田崎の身体にまたがると、その喉元を押さえて、強引に唇を重ねた。
やがて二人の間から時間が消えた。
ふたりとも後悔するのはわかっていたが、後戻りはもうできなかった。