ベルリン郊外の安ホテル。

真木は男とふたりきりだった。
「キスしてもいいかい?」
男は優しく尋ねた。
それに答える間もなく、男の顔が迫ってきた。
真木は目を閉じた。長い睫が白い頬に影を落とす。
二つの影が重なった。
長い、永遠のようなキスだった。


男が眠り込んでいるのを確認して、真木は男の体を点検した。
胸に着けたロケットタイプのペンダント以外これといって、怪しいものは身に着けていない。
ペンダントを開けてみた。ペンダントを開けると、オルゴールの音がして、ワーグナーの<タンホイザー>が流れた。そして、中には幼い少女の写真が入っていた。
男に家族は居ないはずだ。誰の写真だろう。
隠し子でもいるのだろうか。目元の辺りが似ていなくも無いが。
真木はロケットを閉じた。音楽も鳴り止む。

「トリスタンとイゾルデ」
「ワーグナーのタンホイザー」
「幼い少女」
何かの暗号のようだ。真木はロケットの写真を小型写真機に収めた。


「これがその写真だ」

ベルリン動物園の白熊の檻の前で、真木は田崎に会った。
「随分古いな。これじゃあ探すのは難しいぞ。収穫はこれだけか?」
「そうだ」
「奴と一晩過ごしたのに、収穫はこのピンボケ写真だけ?」
「そうだ。シャツや背広も調べては見たが、怪しいものは出てこなかった。まさか、切り刻むわけにもいかないしな」
憮然として真木が答える。
「じゃあ、わかったのはワーグナーが好きで、真性のゲイの上にロリコンだということくらいか」
「冗談にするな。オペラハウスじゃナチス親衛隊に囲まれてオペラを聴いていたんだ。さすがに生きた心地がしなかった」
「ヒトラーのワーグナー好きは有名だ。親衛隊にも奨励しているのだろう。そのロケットが、奴がスパイである証拠ならいいけどね」

「これからどうする」
田崎が訪ねた。

「行くところがある」







inserted by FC2 system