加納昭雄。ベルリンの日本大使館の秘書。29歳独身。
顔立ちは整っており、育ちのよさが感じられる。眼鏡を掛けている。
やや青白く、いかにも高級官僚といった風情だ。
趣味はオペラとオーケストラ鑑賞。男色趣味があるらしい。


「失礼ですが、席をお間違えじゃないでしょうか」

ベルリン国立歌劇場。前から3列目の37席に真木克彦は座っていた。
「僕ですか?」
驚いたように真木は、チケットを取り出し、番号を見せた。
「でもほら、僕も3列の37席ですよ」
「ああ、これは二階席のチケットですね」
男はチケットを確認した。
「本当だ。すみません」
真木は上着を持つと、その場を離れた。

演目はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。オペラだ。
座席の多くをナチス党員が占めるという、一種異様な雰囲気の中でオペラは上映された。

演目が終わって、ロビーで煙草を吸っていると、先ほどの男がやってきた。
「先ほどは失礼しました」
「いいえ、こちらこそ、席を間違えてしまって失礼しました」
「日本の方ですね?私は加納昭雄といいます。大使館員です」
「真木と申します。美術を商っています」
二人は名刺を交換した。

「美術がお仕事とは素晴らしい。オペラはいかがでしたか?」
「素晴らしかったです。特に演出が良かったです」
そう答えながら、真木は微笑した。

「よろしかったらこの後、食事でもしながらオペラの感想など語り合いませんか?」
囁くように声を潜めて、加納は言った。
「相手をして欲しいのは食事だけですか」
意味ありげに真木が尋ねると、

「よければ、その後も」
男は答えた。











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