クラシックなウイーン風カフェであるカフェ・アインシュタインは、ウンター・デン・リンデン沿いにある。

真木は珈琲を注文すると、先ほど田崎から受け取った茶封筒から中身を取り出した。
すぐ後ろの席に背中合わせに田崎は座り、新聞を広げた。

一枚のモノクロ写真。若い日本人らしき青年だった。

「加納昭雄。日本大使館つきの秘書だ。スパイ容疑がかかっている」
田崎が説明した。
「それで?」
真木が促すと、
「君の仕事は、奴がスパイである証拠を探し出すことだ」
「手っ取り早く近づいて、身辺を探れということか」
「どんな手段をとっても構わない。奴は男色趣味があるという噂だ」
「・・・必要があれば寝ろというのか」
声が低くなる。

「それは君次第だ。俺は構わない」
「他人事と思って。貴様の得意分野だろうが」
「それは君の誤解だ」
田崎は口調を和らげた。
「誰もターゲットと寝ろとは言っていないよ。性癖を利用しろと言っているだけだ」
「僕には同じに聞こえるが」
「被害妄想だろう。神経質になってるな、なんかあったのか?」
「別に何も」

真木は珈琲を意味なくスプーンでかき回した。

なんかあったのかはこっちが知りたいことだ。
なにしろ結城中佐に記憶を抜かれて、あの夜の記憶はまるでない。
思い出そうとしても、頭の中に白いもやがかかるだけで、濃い霧の中に居るようだ。
思い出せるのは、結城中佐の言葉と、あの時壁に押し付けられてキスされたことだけだ。
あれ以来結城中佐とは会っていないし、連絡も無い。

何者にもとらわれるな、そう教えた本人に、囚われている・・・。

「なにかあるなら、相談にのるぞ」
「結構だ。そんな暇は無い」
真木は冷たく突っぱねた。弱みを見せられるほど親しいわけではない。

「・・・全く君は猫みたいだね」

新聞紙の影から、薄い笑みが見えた。





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