それでも地球は回っている


「蒼」
息を弾ませながら、おさげ髪の少女が走ってきた。
「なに。急いでるんだけど」
あからさまに迷惑そうな顔で、蒼は振り返る。
「こっちだって忙しい」
顔を赤らめて、少女は言った。
「中止だ」
「中止?嘘だろ」
ここまできて。
蒼は、一瞬怪訝そうな顔をして、それから能面のような無表情になった。
「わかった」

しばらくして、乗る予定だった小型機が離陸した。
それを見送って、
「残念だな。楽しみにしてたのに」
「なにを」
少女が尋ねると、
「休暇。仕事終わったら、オフだからさ」
「ふうん?」
「ま。いいや。じゃ、オレは消えるよ」
ひらっと手を振って、
「また、どっかで会おう」
のんびりと歩いていく。
その背中を見送りながら、少女は無言だった。


空が青い。
飛行機が、切り裂くように飛んでいく。
どこへ、行くのだろう。

「君」
のんびりとしたとある学院の校内。
振り返ると、先生のようだった。
「その制服は、うちの学校じゃないね。困るよ」
「すいません」
素直に謝って、蒼はだが、けろっと、
「トモダチにあいにきたんです。僕」
といった。
「トモダチ?」
「ええ」
「ガムもだめだ」
言われて、蒼は綺麗な指先でガムを取り出すと、くるんでポケットにしまった。
「どこの学校だい?見たことがあるな」
「セントメアリー」
「え」
教師の顔に、ありありと驚きの顔が浮かんだ。
「まだ学期中だろうに」
「そうです」
「ちょっと、きなさい」
大人しく従って、蒼は指導室に入った。

「トモダチって?」
「2年の・・・相馬篤」
「相馬か。剣道の」
「はい」
「・・・呼ぼう。君、名前は」
「蒼」
「蒼?変わった名前だね」
いいながら、教師は、机の上の電話をとった。
「ああ。頼む呼び出しだ」

「ご親切様」
蒼はいいながら、微笑した。

「先生」
ノックがあり、入ってきたのは、相馬篤だ。
短くかりこんだ髪と、引き締まった体躯の、いかにも運動部らしい少年だった。

「ひさしぶり」
その声。はっとして、相馬は、思わずその場に凍りついた。
「・・・おまえ」
「覚えてたんだ。オレのこと」
「なんで・・・」
声が掠れた。

一歩、部屋の中に踏み込むと、足元に倒れている人がいる。
先生だった。
「蒼。おまえまた」
「大丈夫だよ。眠らせただけ。面倒だから」
「大丈夫って」
「それより、喜んでくれないの?わざわざあいにきたのに」

沈黙。
相馬は、微妙に入り混じった感情のままで、
「なにしに?オレをからかいに?」
といった。
「被害妄想」
「おまえ・・・」
「あーあ。せっかく暇だったから顔みにきたのに、怒られるんじゃあわないや」
「怒ってねーよ」
「・・・相馬」
「・・・最悪だ。蒼・・・」

なつかしいよりも。信じられないものをみた気分だ。
なにもいわずに消えた。
あれから
随分年月が流れたのに。
変わらない。なにも

時間をとめたみたいに

「どうして」
「今更?オレ、あいにきたらだめだった?」
「どうせ」
すぐ、いなくなるんだろう。
それが、わかっていて。
抱きしめたり、できない。

「そっか」
寂しく笑う。白い顔。
互いの距離を測るように、離れている。
「ま、いいや。ごめん邪魔して」
「待てよ」
低い声。
怒りに満ちた。
「勝手に現れて、また勝手に消えるのか?」
「うん」
蒼は俯く。長い黒髪が、頬にかかる。
表情は見えない。
「わがままなんだ。オレ」

凍りついたように動けないでいた。
相馬は、ようやく口を開いた。
「なんで、記憶を消さない」
「消したよ。でも」

「オレが・・・」
言葉につまり、代わりに腕が伸びた。
抱きしめる。
苦しいほど。

「ゆるさない」
低い声。
「もう。離さないから」

「ストップ」
能天気な声がした。
「君たち、そこ、生徒指導室だよ?まずくね」
「北井」
「あれ?先生は?」
窓からは、足元に転がる先生はみえなかったらしく、
「先生いないからって、まずいよね」
釘を刺して、北井はいなくなった。

「誰」
「クラスメイト」
なんとなく気まずくて、相馬は耳を赤くしながら、体を離す。
「・・・ごめん。つい」
「いや、こっちこそ」
らしくないやりとりをして、ふたりは他人行儀に頭を下げた。

「ぷ」
蒼が噴出す。子供のように屈託のない顔で。
「笑うな」
気分を害して、相馬は、やり場のない腕を仕方なく組んだ。
「ごめん」
綺麗に笑いをおさめると、蒼は、澄んだ黒い瞳を、まっすぐに向けた。
全てを飲み込むような闇の色だ。
「オフなんだ。しばらくいるよ」
「しばらくって、どれくらいだよ」
むっとした顔。
でも、もう心は既に傾いている。
「わからない」

先生を椅子に座らせると、相馬はまわりを気にしながら、外へ出た。
「手を繋ぐのはまずいよ」
蒼が、珍しく常識的なことを言う。
「うるさい。捕まえてないと逃げるだろう」
「逃げないよ」
「いいから」

子供のように手を引かれながら、校庭を抜けていく時、
蒼はふと、まるで子供にかえったような開放感を感じた。
かつてない
普段の冷静沈着さとはうらはらに、蒼は自分の中にいる、
小さな子供に目を向ける。
けして、愛されたこともなければ、幸福も知らない、
怯えた子供がそこにいた。

大丈夫だよ
きっと
うまくいくから

校庭を抜けると、寮がある。
交通不便な田園にあるこの学校は、全寮制だった。
そこの3階角部屋が、相馬の部屋だ。
「隠れてろ」
相馬はいった。
「オレが帰ってくるまで、どこへも行くんじゃねーぞ」
鍵をかけかねない勢いで、相馬はそういって、校舎に戻っていった。
蒼は、
「ばかじゃねー・・・鍵なんてかけたってさあ・・・オレを誰だと思ってんの」
いいながら、
「まったく。ばかなんだからさ」
ベッドに横たわり、染みのある天井をみあげた。

「駄目だな。オレ・・・こんなに甘えてる」
相馬の保護。まるで、父親のような。
「また・・・傷つけるだけなのに」

目を閉じた。




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