「ただし、貴様は今日からしばらく飯抜きだ。お気に入りのコーンビーフもな」

ミーシャにそういわれて、小田切は微笑を浮かべた。
お気に入りのコーンビーフ。
小田切がコーンビーフの缶詰を見つめているのには訳がある。
コーンビーフさえあれば、煙草にもなるし、ペンや紙にもなる。この収容所ではほとんどお金と代わらない貴重な物品なのだ。それを賭ければ、大概のものは手に入った。
ほとんど着のみ着のままで、貴重品などはあらかた取り上げられている彼らの間でさえも、不思議なくらいにまめまめしい生活雑貨、タオルや歯ブラシ、石鹸、はさみ、ヤスリなどが取引されていた。
それはミーシャと夜に交代する大人のロシア兵が、コーンビーフと引き換えに、こまごまと持ち込んだものだ。
ロシア兵の食事でさえ充分でないロシアの事情といえる。

「なにがおかしい?」
微笑を浮かべた小田切をミーシャが咎めた。
ミーシャだってだいたいの事情はわかっている。コーンビーフを取り上げられれば、たちまち生活に困る筈だ。ただでさえ、餓死寸前なのに。
「飯抜き」と脅されてもなお微笑する異国の青年が、ミーシャは薄気味悪かった。
日本人はだいたいよく笑う。この状況下で、よく笑えるものだ。
敗戦国となり、焦土となった故国へ帰ることも叶わず、シベリアで囚われた哀れな人々・・・にもかかわらず、日本人はことあるごとに、にへら、にへらと笑うのだ。
ただ笑った、というだけの理由で銃殺された日本人だっているというのに・・・。

「この男を納屋に運びたい。手伝ってくれ、ミーシャ」
「なんだと?」
ミーシャは耳を疑った。
依頼があまりに意外だったのと、名前を呼ばれたことにまごついた。

「ふざ・・・けるな・・・俺は・・・」
もう一度銃を構えるべきなのか?
だが、その呼び方が、ミーシャの中のある記憶を呼び覚ました。

お父さん・・・。

目の前で殺されたミーシャの両親。幼い妹。
全て、全て日本人のせいだったのではないか・・・?

まきを割るのを手伝ってくれ、ミーシャ・・・

お父さんの声が聞こえた気がした。
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