「包帯が解けているぞ」
そう言って、佐伯は俺の手首の包帯を巻きなおしてくれた。
自分でやったら、あまりうまく結べなかったのだ。
佐伯の優しさに、胸が高鳴る。

「犯人を捕らえなくていいのですか」
「犯人?」
「ヘルムート・メイヤース殺しの・・・」
「証拠は何もなく、警察も自殺と断定している。今更犯人を挙げたって、警察のメンツを潰して恨まれるだけだ」
「ですが、このままじゃ・・・」
「次の殺人が起こる・・・か」
佐伯は物憂げな表情で、遠くを見た。

「メイヤースは興奮して電話をかけてきた。今すぐ私に会いたい、会わねばならないと、早口のドイツ語でまくし立てた。よほどの秘密を手に入れたと見ていい」
「秘密」
「メイヤースは小遣い稼ぎに、外交上の秘密を売っていた。外交官にはよくある話だがね。懇意にしていたのも、別に奴が好きだったからじゃない。お互いにメリットがあったからだが・・・」
「その秘密とは一体なんだったんでしょうか」
「今となってはわからんよ。死体に聞くわけにはいかない」
佐伯は銀のシガレットケースを取り出し、煙草を銜えた。
俺がマッチを摺り、その先に火をつける。

佐伯のよく整った長い指先が、煙草を挟んだ。
「奴のような生活をしていれば、どのみちいずれはああなったはずだ。秘密はいずれ漏れるものだ。どんなに隠していてもな・・・目先の利益に囚われて我を失えば、破滅が待っているだけだ。人とは弱いものだな」
外交官という選ばれたエリートであっても、金の力には弱いらしい。
俺だってストリートにいた頃は、金のためならどんなことでもした・・・。
俺は俯いた。
佐伯はちらりと俺を見て、
「嫌なことでも思い出したか?顔色が悪いな」
と言った。
佐伯に隠し事はできない。
どんな些細なことも、たちまち見抜かれてしまう。

「つまらん過去に囚われるな。それが生きるコツだ」

佐伯は言って、再び煙草を銜えた。
俺は手首の包帯を見ていた。
温かい血が、俺の中にも、マスターの中にも、流れている・・・。
生きて、いるんだ。
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