英国。

俺は道端で眠る靴磨きの少年だった。
ある時、靴を磨いた紳士が、俺のことを気に入って、そのまま屋敷に雇ってくれた。
紳士、といってもごく若い、20半ばといったところだ。
背が高く、痩せていて、顔立ちには品がある。
父親がインド貿易で財をなした、日本人の富豪だということだ。

当時のイギリスには、そういった貿易成金がうようよしていた。
貧富の差は激しく、道端で餓死する子供も珍しくはなく、また、通り過ぎる人も見て見ぬふりをするのが関の山だった。
男の名前は、佐伯零次といった。
俺は、彼の身の回りの世話をおおせつかった。
いわゆる従者だ。

ぼろを脱ぎ捨て、風呂に入り、きちんとした服に着替えると、俺もそれなりに見られる少年に変身した。
馬子にも衣装とはよくいったものだ。
「見違えたな」
佐伯もそういって、褒めてくれた。

佐伯はどこへいくにも俺を連れて行ってくれたので、自然、いろんなことに詳しくなった。佐伯は博学で、いろんなことを驚くほど詳しく知っていて、女性にもひどくもてたが、一方で、どこか冷たいところがあり、本当は女性にはさして興味がないのだと思えた。
紳士の嗜みであるポーカーやブリッジは、異常なほど強く、ほとんど負け知らずだった。およそ、佐伯には負けるということが似合わない。
ごく限られた紳士しか入れない高級社交クラブにも出入りして、また、それが似合う男なのだ。生まれながらの紳士なのだろう。

一方で、佐伯にはどこか謎めいたところがあった。一緒にいても、ほとんど遊び暮らしているのか、仕事しているのかもわからないような生活。一緒にいる俺でさえそうなのだから、他人から見ればますますそうだろう。
そんなところも、御婦人がたにはますます魅力的に映るらしかった。
御婦人は、謎と危険を好むものだ。否、謎と危険な香りをさせる男を・・・。

「ルイス」
佐伯は俺を呼んだ。
「マスター。なんですか」
「出かける」
今では、目を見るだけで、俺について来いという意味なのか、ひとりで出かけるという意味なのかわかるようになった。
俺は身支度を整えると、佐伯の後を追って、ロンドンの町へ出て行った。

inserted by FC2 system