雪が舞っていた。

海岸の砂浜に並んで立ち、D機関員たちは、目の前の黒く冷たい冬の海を眺めていた。
沖に見える無人島までの一キロ。服のまま泳いで往復せねばならない。
採用試験のときに一度やったことはあるとはいえ、あのときよりも状況は悪い。
今回は、マイクロフィルムを身体に隠して、泳がねばならない。

8人全員が、表情の見えない顔で、準備体操をしている。
過酷さを誇る訓練のなかでも、自白剤を使った尋問に継ぐ、過酷な訓練だ。
無事にマイクロフィルムを結城に渡せたもの上位5名は、勝ち。あとは負けである。
負け組は、明日も同じ訓練が待っていた。

だれも無駄口を利かなかった。
集中力を高める必要があった。
黙々と準備体操をして、順番に靴を脱いで海に入る。
靴だけは脱ぐことが許されていて、ありがたかった。
誰も、貴重な革靴を台無しにはしたくない。

メンバーはそれぞれ思い思いの形で泳ぎ始めた。
泳ぎに特にルールはない。得意の泳ぎ方で泳げばよい。
泳ぎには自信のある者もいたが、勿論服を着たまま泳ぐのは2度目だ。
水を含んだ服は、身体に纏わりつき、重く手足を疲労させる。
人一人背負って泳ぐのに似ている。
顔色こそ変わらないものの、それぞれが必死になって泳いでいる。
そうでなければ、たちまち冬の海に攫われてしまうからだ。

一番早く戻ってきたのは、神永だった。
荒い呼吸のまま砂浜にたどり着き、よろよろと数歩歩いて、そのまま砂浜に横たわった。
「早かったな。マイクロフィルムはどこだ」
結城に声をかけられると、無言でシャツの裏ポケットを引き裂いて、ビニールに包まれたマイクロフィルムを渡した。
「ふむ。確かに」
結城はそれを受け取ると、ポケットにしまった。

小田切、田崎、福本、甘利、三好が順番にあがってきた。
上がる順番は甘利のほうが三好よりも早かったが、マイクロフィルムを渡したのは三好が先だった。甘利はマイクロフィルムのことなど忘れたように、地面に寝そべり、呼吸を整えていた。
「貴様、わざとか」
三好が尋ねた。
「なにが?途中で落としちまっただけだ」
甘利が答えて、ニヤリと笑った。

しばらくたっても、波多野と実井はあがってこなかった。
「遭難したかな」
と田崎が言った。
「いや、恐らく波が荒くなったから、無人島で休んでいるのだろう」
小田切が答えた。

実際は、ふいに足がつって、溺れかけた実井を、波多野が助けて無人島に上陸したのだった。
助けたはいいが、実井は意識がない。
それに、このままではふたりとも凍えてしまう。
波多野はたまたまマイクロフィルムをマッチ箱に隠していた。

洞窟と思しきところに実井を運び込むと、濡れた服を脱がして、身体を拭いてやった。
ふきだまっていた枯葉を集めて、火をつけると、じわじわと枯葉が燃え出した。
波多野は自分もシャツを脱いで、裸になった。
実井を見ると、顔色は青ざめて、いつにも増して白くなっている。
水を飲んだのかもしれない。

波多野は、実井の唇に唇を重ねて、その胸に息を吹き込んだ。
裸の胸に手を置いて、同時に押す。
「・・・・っあ・・・・」
突然、実井の唇から海水があふれ出た。
そのまま身体を曲げて、咳き込む実井を、波多野がさすってやる。
「・・・・・僕・・・・ここは・・・」
実井の茶色い瞳が、ゆっくりと波多野の顔を捉えた。

「貴様は溺れたんだ。D機関員失格だな」
波多野は冷たく言った。
「溺れた?僕が?」
泳ぎは得意なほうだ。実井は単純に驚いている。
「海を舐めてるからそうなるんだ。準備体操をさぼったろう」
波多野は言って、実井の額を指で弾いた。
「ここは、無人島か」

「波が荒いから、明日までボートは来ないだろう。野宿するしかないな」
急な空腹を感じながら、波多野は言った。
冬の無人島に、食べられるようなものがあるだろうか。
「僕のために、ごめん」
「・・・やけに素直だな。調子狂う」
波多野の声は低く掠れた。

「ふたりとも、裸だね」
実井がぽつりと言った。
「なんだよ。濡れてたから仕方ないだろ」
「いや、そうじゃなくて、なんか久しぶりだから・・・波多野と」
「なに笑ってるんだよ」
「嬉しくて。波多野、ずっと怒って僕を無視してたから」
「気にしてたのか」
「まぁね」
実井は波多野にもたれかかるようにして、目を閉じた。

「俺のことなんか好きじゃないんだろ・・・」
波多野が言った。
「貴様、まだ結城さんのこと」
言いかけて、波多野はしりもちをついた。実井が、抱きついてきたからだ。

波多野の体温は上昇した。







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