小雨は、いつの間にか激しい雨に変わっていた。
「抱いてください」
実井は囁いた。
実井の目はガラスのようだ。
今にもはかなく壊れてしまいそうだ・・・。
佐久間は再び実井を抱いた。喘ぎ声は雨の音にかき消された。
まだ温かい死体のある部屋で、男を抱くなど、狂気の沙汰だ。
だが、長い戦争で、佐久間にはもうなにが狂気なのか、わからなくなっていた。
「いくのですか」
佐久間の背中に、実井が問いかけた。
「ああ」
「僕は過去の話を、誰にもしたことはありません。波多野にさえ。なぜ、貴方にしてしまったのか・・・忘れてください」
「君がそうして欲しいなら、そうする」
「僕を、捕まえないのですか」
「・・・俺はとっくに共犯だ。君を捕まえる権利はない」
「佐久間さん」
「実井。君は大連にゆけ。そこには福本さんがいる筈だ」
「え?・・・」
「本当なら俺が連れて行きたいが、俺にはそれが出来ない。俺は多分・・・」
明日、前線に赴く。おそらく、生きて日本に戻ることはないだろう。
「大連の関東軍は強い。・・・福本さんなら、頼りになるしな」
嫉妬心などくだらない。
実井が無事に日本に帰国できれば、それでよかった。
「でも、福本さんに迷惑をかけるわけには・・・」
「君は生きた機密情報だ。こんなところで餓死させるわけにはいかんよ。福本さんもそういっていた」
「・・・もう会えないのですね?」
確認するように、実井はねめつけた。
「会えるさ。靖国で・・・そうしたら・・・」
佐久間は呟いた。
その後の言葉は、雨の音に紛れ、実井の耳には届かなかった。
外はただ、冷たい雨が降りしきっていた。夜には雪に変わるだろう。