「良かったか?実井」

そんな事を聞くなんて、波多野もオヤジになったものだ。
「福本さんも同じ事を聞いたよ」
僕が答えると、波多野は目を剥いた。
「ふ、福本が・・・?」
「そうだ。僕の相手は福本だよ。どう、満足した?」

傷つけたい一心で、そう言った。途端に後悔した。
波多野が、あまりにも傷ついた瞳をしたからだ。


「ばらしたな」
福本が呆れている。
「折角骨を折ってやったのが台無しだ。どうして事を難しくするんだ?」
「知らないほうが哀れでしょう?」
僕は投げやりに言った。
「俺が悪いと言いたげだな」
「悪くないんですか?」
「絡むな。貴様と波多野を船に乗せるのが難しくなった」
「波多野は?殴られましたか」
「まさか。怒って口を利かない」
子供か。
「でも、食欲はあるのでしょう」
「ああ。普通に食べている」

波多野はベッドに寝たきりだ。僕とも口を利かない。
むすっとした顔で、顔を背け、背を丸めている様子は、亀みたいだ。
いつにもまして、小さく見える。

「食べているなら、まあ、そのうち機嫌を直すでしょう」
僕が言った。
「どうかな。結構しつこい性格だからな・・・」
福本は浮かない顔だ。
だが、心配事は他にありそうだった。
「港はどうですか」
「だめだな。今朝も同業者が警察に連行された。潮時だ」
のんびりとした口調で、福本は言った。
「なんにでも潮時はありますからね・・・」

大連を離れる日は近い。短い滞在だったが、僕は大連の自由さが好きだ。
日本が満州を手に入れたのも、この自由さに焦がれてのことかもしれなかった・・・。
満月に手を伸ばすように、見知らぬ荒土を欲しがって・・・。

ロウで固めたイカロスの翼は、太陽に近づいて、やがて燃え尽きるだろう。







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