バケツの水で顔を洗っていると、先ほどのシナ人の青年が近寄ってきた。
渡されたタオルを受け取り、
「ありがとう」
と礼を言うと、
「僕、ヤンといいます。貴方・・・実井さん」
実井が顔をあげると、ヤンは食い入るようにその顔を見つめている。
色の白い肌が珍しいのだろう。シナ人にはよくある反応だ。
上海にいたころは、近所の娼婦によく嫉妬されたものだ。
「何か用事ですか」
タオルを返すと、それを受け取りながら、ヤンは言った。
「貴方は福本さんの恋人なんですか・・・?」
「恋人?福本さんがそういったのか?」
「はい。あれは恋人だから、手は出すなと言われました」
ヤンは悔しそうに、そう答えた。


「おい、ベッドを占領するな」
実井の背中を押して、福本がベッドに横になった。
「ソファが開いてますよ」
「ソファは俺には小さすぎる。貴様には丁度いいがな」
福本は答えた。
「・・・なぜ、あんな嘘を?」
「嘘」
「僕が福本さんの恋人だって、ヤンに言いふらしたでしょう」
「馬鹿だな」
福本は背中を向けて、
「こんなところで、自分はフリーです、恋人はいませんって顔をしてみろ。あっという間にあのシナ人どもの餌食だぞ。わかっているのか」
「自分の身くらい自分で守れます」
「刃傷沙汰はごめんだ。ただでさえ、貴様はお尋ね者だからな」
「お尋ね者にはなっていませんよ。佐久間さんが黙っている限りは」


「毛布、取らないでくださいよ」
「俺の毛布だ」
「寒いじゃないですか」
「背中にくっつくな。離れろ」
福本の背中は大きく、温かかった。
その背中に抱きつきながら、実井は佐久間を思い出していた。

佐久間。
今夜はどうしているのか。
夜露をしのげる場所にいるだろうか・・・。




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