「忘れたとは言わせませんよ」

真木は結城中佐の膝に寄りかかるようにして、また同じセリフを言った。

「あの冷たく凍える冬の東京湾で、僕が学んだのは、絶対的な孤独でした。
真っ黒な波に呑まれたときの、あの真っ黒な孤独・・・誰も信用できない、
二度と誰も信用するものか、例えどんなに身近な存在でも」
真木はぽつりと言った。
「僕は孤独だ」

「常に怯え、警戒し、相手を疑い続ける・・・それがスパイの運命だ。
それが周囲を欺くものの、いうなれば業なのだろう」
結城中佐は手袋をした右手を、目の前の小さな頭の上に載せた。

「秘密の日記帳。本当はあるんでしょう?貴方はいつもあのマッチを持ち歩いている、透明な文字で書けば、日記もただの白い一冊のノートに過ぎませんからね」
「貴様もしつこいな」
結城中佐は苦笑した。

「あのメモは燃やしてください」
「なに?」
「さっき衝動で書いたけど、なんだか恥ずかしくなってしまった。
遺書を書くなんて、僕もどうかしている」
「わかった、そうしよう」
小さな子供をあやす様に、結城中佐は真木の頭をぽんぽんと叩いた。

真木はそれを嫌がるように振り払い、暖炉ににじり寄ると、薪をくべた。
どこかから賛美歌が聞こえてきた。
教会の鐘が鳴り響く、12時だ。

「実は僕からも貴方にプレゼントを用意したんですよ。気に入ってもらえるかどうか不安ですけどね」
真木は立ち上がり、再び中佐のもとに寄ると、

「メリークリスマス」
そう言って、背をかがめ、中佐の冷たい酷薄な唇に自分の形のよい唇を重ねた。

暖炉の火が爆ぜた。
ふたりはそのまま柔らかいラグマットの上に倒れこんだ。











inserted by FC2 system