「ミーシャ?その顔はどうしたの!」

驚いた顔のミハイルは、俺を覗き込んだ。

「何でもない・・・階段から落ちたんだ」

「嘘付け!誰にやられたの?」

ミハイルはニコライの同僚で、ニコライの友達だ。歳も同じだった。
いかにもロシア風の名前とはそぐわない、モンゴル風の顔立ち・・・いや、日本人に似ている。もしかしたら混血かもしれない。

「嘘じゃない・・・ほうっといてくれ」
「こっちに来て」
嫌がる俺を無理やりひっぱって、ミハイルは薬箱の棚をあけた。

「痛い」
「口をあけてみな」
口を開けようにも、頬が腫れているのであまり開かない。
「ひどいね。歯が折れてるじゃないか」
ぶつぶついいながら、脱脂綿をちぎると、消毒液に浸した。
「何か困ったことがあれば俺に言って。いいね」
「なんで・・・あんたとは友達じゃない」
「馬鹿なの?ニコライの友達なら俺の友達だよ。相談して」

暑苦しいほどの親切。ロシア人にはよくある反応だ。
だが、日本人もそうらしい・・・捕虜の人間関係を見ていると、人間というものはそう変わらない、という気がしてくる。極限の状況でさえも、失わない人間らしさ・・・。
小田切をはじめとした、日本人捕虜と接するにつれて、俺は、自分が恐れていた関東軍と、目の前にいる捕虜たちとのイメージが違いすぎて、だんだんわけがわからなくなった。
小田切は、死体を埋めるたびに、両手を合わせて拝んでいた。
俺はそれを見ると、なんだか崇高なものを見る気になったものだ。
死者を悼む気持ちは、何人も変わらないのか・・・鬼畜と怖れられた関東軍でさえも。
小田切。
小田切は、極限の状況でも最後まで優しかった・・・。

「お前、ニコライとは仲が好かったろう?奴が何処へ行ったかわかる?」
ふいに、思いついたようにミハイルが言った。
「わからない」
「あいつ、故郷の話とかはしなかったからね・・・」
ミハイルは思案深げな目をした。


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