「あんた、一体何者だ?」

ニコライの手を振り払い、俺は言った。
「なにって、なにが」
「食堂のオヤジが言っていた。頚動脈にフォークを刺して、しかも殺さない。奴はプロだ。なぜなら、人は殺すより殺さないほうが難しいんだって」
「え?ああ・・・まぐれだよ」
ニコライの表情は曇った。
助けた筈の俺の反撃が意外だったのだろう。

「スパイ・・・なのか?」
俺は福本、と呼ばれた日本人のことを思い出していた。
銃口を俺に定めていたのに、奴は俺を殺さなかった。
ただ、脅しただけ・・・。
そのときの奴の表情と、フォークを刺したあとのニコライの顔が重なる。
冷徹な、迷いのない瞳。
「ミーシャ」
再び伸ばしてきた手を、俺はまた払いのけた。
「触るな。本当のことを言えよ!・・・俺たちを、監視していたのか?諜報部の犬なのかよ!?」
「ミーシャ」
一瞬逡巡するように、ニコライは俯いて、それから顔をあげた。

「そうだよ。俺はモスクワの命令でここに来た。内部に反逆者がいたら粛清する為に」
「俺たちを・・・俺を・・・監視していたんだな・・・」
信じていたのに。たった一人の友達だって。
足元から崩れていくような気がして、俺は後図去った。
背中に壁が当たった。ニコライはゆらりと前のめりになり、壁に手を突いた。

「大統領になりたいなんて・・・嘘だったんだ・・・」
「嘘じゃない。信じてくれ、ミーシャ・・・俺が大統領になったら、きっと、この国を変えてみせる・・・この地獄のような・・・終わらない白夜のようなこの国を・・・」
「嘘だ・・・なれっこない・・・お前なんて・・・薄汚い・・・ただの・・・人殺しだ・・・」
「ミーシャ・・・目ぇ瞑れ・・・」
「なんで・・・」
「いいから・・・いいもんやるよ・・・」

俺が目を瞑ると、唇に何か柔らかいものが当たった。
ニコライが何をくれたのか、子供の俺にでもわかった。
なんて冷たい・・・キス。

俺が目を開けた時、ニコライはもうそこにはいなかった。
消えてしまった。風のように。




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