ミュンヘン。アルテ・ピナコテーク。
バイエルン国王ルートヴィッヒT世が設けた美術館で、ドイツやイタリアの古典絵画7000点を集結させた王家代々のコレクションが展示されている。

「またお会いしましたね。マドモアゼル」

声をかけられて振り向くと、若い金髪のハンサムな青年が立っていた。
「どこかでお会いしましたかしら」
金髪の美少女に扮した真木克彦がとぼけると、

「先ほどマリエン広場の時計塔の前で、白髪の紳士と一緒に居られるのを拝見していたのですよ。お父様ですか」
「いいえ、主人です」
「ご主人?失礼ですがお年が随分離れていらっしゃるようですね」
「30ほど違いますわ」
「それは・・・ご主人はラッキーな方だ」
半ば悔しそうに、青年は答えた。

「主人とはぐれてしまって、ひとりで時間を潰していました」
「それは心細いでしょう。良かったらご主人に会えるまで一緒に回りましょう」
願ってもない誘いだった。
「嬉しいわ、お優しいのね」

「僕はクラウス・レーベンバッハと言います」

真木は白いレースの長い手袋をした右手を差し出した。
その手の甲に、クラウスは背をかがめてウイーン式の気取った口付けをした。
真木はしおらしく頬を染めて見せた。
「わたくしのことはエリスとお呼びください」

クラウス・レーベンバッハ。本名アルベルト・シュペーア。35歳。独身。
この若さにしてヒトラーの片腕であり、建築家としてヒトラーのパリ視察にも同行している。
今回の目的は、シュペーアがパリから持ち帰った機密文書である。
それをこの旅のどこかである人物に売り渡すという情報が入った。
その前に機密文書を手に入れなくてはならない。

クラウスは皮のトランクを大事そうに抱えているが、文書はあの中だろうか。
それともマイクロフィルムにして、時計の裏にでも隠しているのだろうか・・・。

「ノイシュヴァンシュタイン城にはもう行かれましたか?」
クラウスはルーベンスの絵を眺めたまま、尋ねた。
「いいえ、明日行く予定ですわ」
「それは・・・偶然ですね。僕もですよ」
クラウスは驚いたような声をあげた。

「トリスタンとイゾルデの物語に僕は興味があります。死を持ってしか成就しない愛というのがテーマですが・・・切ない話ですね」




















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