哲二君が食堂を飛び出した後、俺も立ち上がって食堂をでる。
小田切は、いつものように冷静な眼で俺を見つめた。
この眼を俺は崇拝している。何よりも・・・。
しかし、今は真っ直ぐなその眼をまともに見ることはできなかった。

小田切に微笑を見せて部屋に戻ると、スーツに着替えて革靴を履いた。
革靴は、新品のように光っていた。よく見れば、傷もわからないように手入れされている。この靴を抱きしめるように受け取った少年の笑顔が、胸に染みた。
「はぁー・・・俺は本当に酷い人間だ・・・」

ぼんやりと窓の外を眺めながら、ため息をついた。
俺は自分が冷酷な人間だと知っている。化け物ばかりのD機関でも、相当冷酷なほうだろう。他の連中の本性は知らないが、うかがい知る限りは一番だろうと思う。
そんな自分にさえ嫌気が差して、いつしか別の性格の人間を演じるようになった。
優しそうな、穏やかな、まっとうな人間を・・・。
いつも俯瞰してみている俺とは、正反対だということが、俺をただ愉しませた。
そうだった。あいつに会うまでは。
あの真っ直ぐな眼に出会うまでは・・・。

この化け物の中に、どうしてこんな奴が紛れ込んだのかと思った。だが、小田切の信念は、俺の知る基準とは全く違う基準で力強く働いていて、その眼が濁ることは決してなかった。

魅せられた。どうしようもなく惹かれた。本当の自分が、今演じている自分だったらいいのに、と心から願うほどに・・・。


「哲二君・・・」
夕方、家事室を開けて中で仕事をしている彼に声を掛けた。
「朝は・・・なんというか・・・申し訳なかった・・・。革靴、丁寧に磨いてくれたんだね。ありがとう」
哲二君は無言のまま俺を見た。目尻が赤くなっていた。

微かに頭を振って、そして、笑った。
「福本さん・・・僕には兄がいました。年が離れた兄です。とても優しい兄でした。でも、父に言われて志願して、・・・訓練で死にました。あっけなく」
躊躇うように革靴に視線を落として、それから、呟くように言った。

「兄には、軍服なんかより、スーツに革靴のほうがきっと似合いました。きっと、ブーツなんかより、革靴のほうが・・・」
「哲二君・・・?」
「福本さん・・・。本当の貴方でも、僕に革靴を任せてくれるんでしょうか・・・?」
「え・・・・・・?」
「本当の貴方は・・・きっと僕には何も任せてくれないんでしょうね」

「・・・そん、なことは・・・」
「今の貴方なら、少しは僕の入る隙があるんでしょうか・・・」
言いながら彼は涙を浮かべた。

「・・・すまない・・・」
「・・・いえ、僕は貴方のことを勝手に好きになっただけなんです。貴方の本当の姿を何も知らないくせに。勝手に優しかった兄に重ねて、夢を見ていただけなんです」
両手を握り締める少年の話が本当なのか、本当の気持ちなのか、はかりかねた。
本人にもわからないのかもしれないし、ただ自分で納得させたかったのかもしれない・・・だが。

「もう、ただの下男の僕のことは、構わなくて結構です・・・だから・・・っ」

苦しそうに、眼をぎゅっと瞑って、哲二君は言葉を搾り出す。
「一度きりでいいから、本当の貴方からの口付けをもらえませんか・・・っ?」

こんな純粋な少年から、こんな言葉がでるとは思わなかった。
「俺のせいだな・・・」
小田切の本音を引き出したくて、哲二君を利用した。
触れることのない唇。
それでも、彼には化学反応のような衝撃があったのだ。
半日の間に、大人の様な顔ができるほどに。

初めて自分のしたことを後悔した。

「俺を見て・・・」

少年の顔に手をやると、両手で包むようにして上を向かせた。緊張して震えているが、哲二君の目は真っ直ぐに見つめてきた。
(彼の眼に似ている・・・)
まっすくで、淀みない、真実を照らす瞳だ。
比べて、俺は、汚い。それでもいいというのなら・・・。
ためらいを断ち切って、唇を重ねた。

震えているのがわかる。その唇を開いて、舌を押し込んだ。

「ん!・・・ふぅ・・・!」
苦しそうな声をあげ、俺の服にしがみついてきた身体を抱き寄せて、口の中をくまなく蹂躙していった。激しくて長い、たった一度きりのキス。

俺の胸を両手で押し返されて、、俺は唇を離した。
「はぁ・・・あ、はぁ・・・」
息を整えてから、
「福本さん・・・っ・・・ありがとう・・・ございました」
そう言って、顔をあげた少年は笑った。
その涙は、とても綺麗だと思った。



































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