次の日の朝、少し早めに仕事に行った。
身体は痛かったけれど、なんだかふわふわとして気分はいい。
家事室に行く途中で、ちょうど福本さんに会った。

「おはようございます!昨日は本当に・・・!」
お礼を言おうとしたら、福本さんの手が僕の頭を撫でた。
「何度も言わなくても大丈夫だよ」
そう言って、福本さんは僕に革靴を差し出した。
「じゃあ、お願いできるかな?一時間後に出かけるから」
「はい!すぐに!」

僕はあんまり嬉しくて、革靴を胸に抱きしめた。それを見て福本さんは、困ったように笑った。ダークブラウンの革靴は、思っていたよりずっと上等で、そしてよく手入れがされているからか、僕の知っているものより柔らかだった。福本さんの身長に合う大きなサイズ。僕の足と比べると、自分の足の小ささに驚く。
一頻り眺めてから、僕は傷をつけないように慎重に磨いた。靴を磨いているだけなのに、福本さんに触っているような気がして、何だか恥ずかしくなった。

磨かれてもとの輝きを取り戻していく革靴は、僕にとって福本さんそのものだった。
革靴はすぐに磨き終わり、時計を見ると、まだ20分もたっていない。あと30分もすれば福本さんが取りに来てくれるだろうけど、朝のあわただしい時間にそれも申し訳ない。そう思った僕は、寮の玄関に届けに行くことにした。

「失礼します・・・・・・」
静かに扉を開けて中に入る。
玄関、とはいえ、寮の中は土足だから、下駄箱があるわけではない。誰かに福本さんの部屋を聞かなくちゃ・・・・・・。

すると食堂から声が聞こえてきた。
「貴様、靴はどうしたんだ?」
あれは小田切さんかな?
「今、哲二くんに磨いてもらっているんだ」
福本さんだ。ちょうどいい。渡しにいける。と思ったが・・・
「哲二くん?あぁ、あの可愛い顔をした下男だね、なんでまた?」
別の人が話しに加わる。

「昨日、いろいろとあってな。磨かせてくれと言われたんだ」
いろいろ・・・・・・気を使ってくれてるのかな。
「そう?靴を磨かせてだなんて、随分気に入られているじゃないか」
そこまで聞いて、僕の心臓は大きく跳ねた。
慌ててすぐ近くの角に身を隠した。
「田崎、貴様は何を言っている」
福本さんの低い声。

「あれ?どうしたの?福本。その様子だと、君もその子が気になるみたいだね」
「そうなのか?福本」
「小田切・・・貴様まで、やめてくれないか、からかうのは」
「ははっ。彼はまだ14で男の子だろう?おかしな冗談はよせ」
小田切さんの明るい声が響く。

福本さんは何を言うんだろう。僕は耳を澄ましたけれど、何も聞こえなかった。
「おっと、いけない。もう行かなくちゃね」
田崎と呼ばれた人がそういうと、小田切さんと食堂を出て行った。

誰もいなくなってから、福本さんの呻くように小さくて低い声が、僕の耳に響いた。
「小田切・・・俺が、好きなのは・・・」
しばらくの沈黙の後、深いため息が聞こえた。
僕はそっと扉の隙間から覗くと、そこには僕が知らない顔をした福本さんがいた。
しばらく動けずにいた。福本さんは床を見つめたままだったけど、そのまま、
「入っておいで」
と言った。
僕がいることに気づかれてしまった。

「あ、あのっ!」
僕は見てはいけないものを見てしまったという思いに、動揺を隠せなかった。
弾かれるように返事をすると、急いで食堂に入り、持っていた革靴を福本さんの足元において、すぐに出て行こうとした。その瞬間、福本さんの手が僕の腕をひっぱった。
「え・・・・・・?」
スローモーションのように、福本さんの腕が僕の身体を寄せて、いつもと違う福本さんの顔が間近に見えた。

キス・・・・・・??!
僕は反射的に目を瞑った。
しかし、いくら待っても唇が重なることはない。やがて、彼は苦しげな声で、
「大丈夫。動かないで」
と僕にだけ聞こえるような小さな声で囁いた

そのとき、背後で物音が聞こえた。僕は目を開けて福本さんを見つめた。
「福本?」
小田切さんの声だ。
「・・・まさか、本気・・・なのか?」

僕の目の前で、福本さんは小田切さんに向かって妖しく笑って見せた。福本さんが何を考えているか、僕にはわからなかった。わからなかったけど、福本さんの心の中に僕が入る隙がないことだけは、嫌というほどわかった。
それほど、目の前にいるこの人は、僕の知らない顔をしていたんだ。

「し、仕事に戻ります!」
僕はいたたまれなくなって、食堂を飛び出した。
小田切さんの隣をすり抜けると、小田切さんは慌てて僕を引きとめようとした。
けど、僕は振り返らずに外へ出た。
福本さんも、小田切さんも、優しい。
でも、ここは僕が入っていい場所じゃない。

「仕事、しなくちゃ」
妹の美夜が家で待ってる。
こんなことしている場合じゃないんだ。家族を守らなきゃいけないんだから。
僕は家事室に入って、最後の涙を拭った。















































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