「おかしいな・・・」

報告書を確認していて妙なことに気づいた。
ロシアの亡命者を日本人高官がかくまっている、そういう情報がどこかから漏れていたのか、ロシアのスパイが中国人の窃盗団を隠れ蓑に亡命者を探していた。
そう思っていたが、窃盗団の動きに一貫性がない。まるで指揮系統が二つあるようだ。
それから、北沢の話も初めは違うことを言っていたようだ。誤解だと言っていたが・・・。

北沢、調べてみたところ大尉の覚えがよく、最近この本部の近辺をうろうろしているようだ。
まさか・・・な。報告書を閉じて窓の外を眺めると、ちょうど北沢が本部に入ってくるのが見えた。
大尉のいる部屋の隣の会議室へ急いで入り、身を潜め、耳を澄ました。
くぐもった話し声が聞こえてくる。
北沢が大尉と話している。
俺は自分の推測どおりのその会話に失望を覚えた。同時に、関東軍中尉としての自分にどうしようもなく苛立った。

大尉は、ロシアの亡命者探しの影で、反戦活動をしていると思われる日本人高官の家捜しをしていた。証拠がない場合には、ロシアに通じているかのように捏造して陥れる計画もしていたようだ。北沢は初めは隠そうとしていたが、福本扮する相良に証言されそうになり方針を修正したらしい。
だが、それでも俺は、軍人だ。
上官に逆らうことはできない。それにもしかしたら、これは陸軍全体の意思かもしれない。


その夜、俺はいつものように大連駅で無意味に時間を潰した後、近くのバーにやってきた。
「ブランデーを」
注文して深いため息をついた。
田崎の言葉に期待をしたが、福本は現れなかった。
自分だけが、女々しくただ待っていることに虚しさで潰されそうだった。
いいことがないな・・・。
そんなものを望むことが間違っているが、スパイとなるために過酷な訓練に耐えていた頃が幸せだったように感じた。
あの頃は自分を信じることができていた。それなのに、今は何を信じたらいいのか・・・。

狭いカウンター席の後ろを別の客が通ろうとして背中にぶつかった。
「失礼・・・」
そう会釈をして支払いを済ませて店をでようとする客。
息が止まるかと思った。
グラスを持つ手が震えた。
背中から溶けていきそうだ。

カウンターに置かれたグラスに目を向けて、身動きひとつできないままなのに、全身が声の主を捜すように熱を持った。

カランッと耳障りのよい音がしてバーの扉の向こうに彼が行ってしまうと、極力自然にブランデーを飲み干し、支払いを済ませた。
店を出て、彼を捜す。どこへいった?

大通りを駅に向かって歩いてみる。ゆっくりと。
数歩行ったところで、またあの声がした。

「いい薫りだな、小田切・・・」












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