「いつもそんなに無理しないで。僕は貴女に会えるだけでいいんだから」

そういいながらも、男は女から差し出された封筒を受け取ると、スーツの内ポケットにしまいこんだ。女は上品な白い衣服に身を包んで、華やかな帽子を目深に被っている。
少し人目を気にしたようだが、佇まいから明らかに高貴な家の御婦人だと見て取れる。上品ではあるが、一緒にいる男に比べれば幾分年がいっていた。
女は時計を見ると、急いで車に戻ろうとしたが、男は名残惜しそうに手を引くと、耳元で何か囁いた。女は嗜めるように笑うと、それでも男の口付けを甘んじて受け入れた。簡単なものだ。

男は車を見送ると、ポケットにしまった封筒の中身を確認して満足そうに笑った。
あの女、自分が手綱を握っていると思ってご満悦だが、こちらの策にすっかりはまってしまっている。当分生活には困らないな。

男は口笛を吹きながら、最近気に入りのバーへと向かった。

「白を頼むよ」
男はバーカウンターの一番奥に座った。
その席は、角の柱に隠れて、目立つことなく店全体が見渡せる。獲物を見つけるにはちょうどいい、お気に入りの場所だ。
マスターに差し出されたグラスワインを口に運びながら、羽振りの良さそうな女性客がいないか目を配っていると、ある男性客が目に入った。

男は、ワインを一口飲んだだけだったが、顔全体が赤く染まる気がした。
店の隅のソファ席で、煙草を吸っている若い男。色白で、涼しげな色気のある目元。
優雅に煙草を口に運ぶ手。忘れられずにいた、彼だ。

「三好・・・」
男は弾かれるように席を立つと、その若い男の下へまっすぐ歩み寄った。若い男は怪訝な顔で男を見上げた。
「君、俺を覚えているかい?一度講師にいっただろう?」
「・・・人違いじゃないか?」
「間違えるわけないさ、君は三好・・・だろ?」
「さぁ、どうだか」
「素っ気無いな。俺は一日だって忘れなかったのに・・・」
若い男はにやりと笑うと、男の目を見つめた。

「そんなによかった?真島さん」
やっぱり!真島と呼ばれた男は目を輝かせると、三好の向かいに座った。
「どうしてこんなとこに?」
「仕事でね」
「仕事?」
「あぁ・・・」
言葉を濁した。
真島はその表情で何かを読み取った。
「俺も、・・・手伝えるかい?」
「そんなに無理をしないで」
三好は口元に笑みを浮かべながら言った。
「僕は貴方に会えるだけでいいんだから」

三好は実ははじめから真島に協力させるつもりで、この数日間彼を観察していた。

中国に機密を売っているらしいという情報を得て、とある外交官を調べていたところ、その外交官の妻が入れ込んでいた男に行き当たったからだ。突然三好が接触しては怪しまれる。できれば、長い付き合いのある人間に、中を探らせたほうがいい。

戯れでキスをした男だったが、真島はこの任務に協力させるのにうってつけだった。
真島は結城中佐がジゴロの講師に呼んだ男だったが、その頃落とした女の夫から脅迫をされて、多額の金が必要だった。結城中佐に助けられなかったら、今頃はこの街どころかこの世にいなかっただろう。

それをあっさり助けられたのだ。裏切りは死を意味する。
大東亜文化協会がなにやら怪しげな団体だと知っても、決して口外することはないだろう。
真島は三好に言われるまま女と接触した。
ホテルに誘い、女が眠った隙に、バッグに盗聴器を仕掛けた。女の夫である外交官が、いつ誰と会うかが推測できる。
真島は女との時間を過ごしたあと、またいつものように金を貰ってキスをして別れた。

「こんなことでいいのかい?」
「ああ、今のところはね」
「いつでも、俺を呼んでくれよ。お前のためだったらなんだってするさ・・・そのかわり・・・」
暗闇に停まった車の中で、真島は三好の頬に手を添えた。

「ホテルに行こうか」
三好の思いがけない提案に、真島の身体は一瞬で高揚した。


















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