食堂に行くと、他に男性客がひとり、食事をしているだけだった。

「あれ、ボルシチですよね」
「ボルシチじゃない、ジャガイモの煮込み料理だ」
「そうなんですか?同じに見える」

薄暗い食堂は、テーブルごとに赤いキャンドルがともされていて、とてもロマンチックな演出になっている。
飾ってある花は造花のようだが、素朴で温かみがある感じだ。
女将の人柄なのだろう。
料理は女将が直接運んでくる。よく太った赤ら顔の中年の女だ。料理をしているのが、おそらく旦那で、宿は二人で切り盛りしているようだ。あと、手伝いのメイドが3人ほど、いるらしい。

「飲むか?」
結城さんがワインのボトルを持ち上げた。
「ええ。結城さん、僕が注ぎます」
「大丈夫だ」
結城さんは、大き目のワイングラスに、たっぷりとワインを注ぐ。

軽くグラスを合わせて、透明な液体に口をつけた。
酷く甘い。ハチミツのような味がする。葡萄の独特の薫りが口に広がった。
「エーデルフォイレ、高貴なる腐敗、貴腐ワインですね・・・」
ボトルのラベルを見ながら、言った。

「貴様にはこのくらいが似合いだろう」
「子ども扱いしないでくださいよ」

僕は苦笑した。

「・・・子供といえば、ハーメルンで消えた130人の子供たち、どこへ行ったんでしょうか?ペストで死んだというのが通説らしいですが」
運ばれてきたブルストに、マスタードを塗りながら、僕が言うと、
「さあな。昔のことだ。人攫いが横行していたのだろう」
と結城さんが言う。

「でも、一人の男が130人もの子供を攫うのはちょっと難しいでしょう」
「男は悪魔だったそうだ。それが真相だろう」
なんでもないことのようにいい、結城さんはまたワインを飲んだ。
「悪魔なんて、信じるんですか?」
意外だ。結城さんは徹底したリアリストだと思っていた。
「神がいるなら、悪魔もいるだろうな」
「神、ですか?」
また意外なことを言う。

「神って、なんのことです?キリストですか」
じきにクリスマスだ。そう思いながら、尋ねると、
「貴様と神について議論する気はない。スープが冷めるぞ」
結城さんはそうはぐらかした。

外で、結城さんと向かい合って食事をした経験は数えるほどしかない。
ただ、食事をしながら会話をするだけで、僕はやや興奮した。
まるでデートの経験もない生娘みたいに。

赤いスープに、ジャガイモの煮込み料理、ブルスト(ソーセージ)、黒パン。
食事は簡素なものだったが、人情味があって、とても美味しかった。
貴腐ワインも、甘くてとても飲めないと思ったが、気づくと一本あけてしまっていた。

外は吹雪が猛威を振るっているが、ガラス窓に遮断されたホテルの中は、まるで御伽噺の中のように暖かで、なんの不幸も寄せ付けない、そんな空気があった。

「結城さん」
階段をあがり、そのまま部屋に入ろうとする結城さんを、僕は呼び止めた。
「今夜は・・・貴方と・・・」
結城さんの背中に、僕は顔を埋めた。















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