「お前こそ、シンガポールでバーテンをしてたんだろ?客に口説かれたりしなかったろうな」
「口説かれたよ。毎晩」
あっけらかんと田崎は言った。

3ヶ月前。
<ラッフルズ・ホテル>の最上階のバーで。
いつもうるさくカクテルに注文をつけてくる英国人の若い客がいた。

「おい、君。グラスが汚れているぞ」
そういって差し出したグラスは、わずかに曇っていた。

「申し訳ありません。すぐに作り直しますので」
田崎が謝ると、客はねめつける様に田崎を見て、
「謝られても、気の済む話じゃない。僕の気分が台無しだ。どうしてくれるんだ」
と大げさに悪態をついた。
「・・・では、どうしたらよろしいでしょうか」
田崎が下手に出ると、男は急に態度を変えて、
「キスひとつで我慢しよう。支配人にも話すのはよそう」
と言った。

「キス、でございますか」
「ああ。キスだ」

なんだ、他愛も無い。
田崎は目を閉じて、カウンターに立ちながら、男の接吻を受け入れた。


「その手のことは毎晩だった」

と田崎が試すように甘利に告げた。
「お前・・・俺を苛めて楽しいのかよ?」
甘利は低く唸った。
「楽しいですよ。わざとですからね」
「それで、どーなったんだ、結局。お前、その客と寝たのか」
「さあ、どうだったかな」
「・・・お前・・・」
甘利は嫉妬のあまり、身体が熱くなるような気がした。
「この・・・性悪・・・」
甘利が乱暴に、後ろから田崎を抱き寄せると、それを田崎は拒んだ。

「だめだ。エマが起きる」

「・・・お前・・・この状態で俺に我慢させる気かよ・・・」
甘利が呆然と呟いた。






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