ホノルルについて、甘利はすぐに自分の考えが甘すぎたことを痛感した。

白人の子供とテリア犬を連れた日本人の男。
目立つなというほうが無理である。


甘利は港についてすぐ、日本人の男がスパイ容疑で軍に連行されていく姿を見た。
背筋が寒くなった。自分だって、いつ捕まるかわからなかった。
そうなればエマはどうなってしまうのだろう。
甘利は暗い気持ちで砂埃の立つ道を歩いた。

しばらくは安宿に暮らしていたが、資金はすぐに底をついた。
仕事を探さなくてはならないが、アメリカ軍の通訳などの仕事は、偽の経歴を持つ甘利にはリスクが大きすぎる。ただでさえ、白人の幼女を連れた甘利に対して、誘拐を疑るような視線は突き刺さってくるのだった。


ハワイには、意外なくらいに日本人移民が多く、日本人村がある。
そこのサトウキビ畑は常に人手不足で、健康な男を募集している・・・。
甘利は求人募集の日本人村の住所を暗記すると、日本人村にむかった。


「この子、アンタの子供かい?似てないね」

バス停で、見知らぬおばさんに声をかけられた。顔は日本人だが、英語だ。
「俺の子供だ。仕事を探しに来た」
甘利が日本語で答えると、
「日本人かい?顔が派手だから外国人かと思ったよ」
と、おばさんも日本語で答えた。

「サトウキビ畑はどっちだい?」
「・・・厳しいよ。でもあんたは、根性はありそうだね・・・」
おばさんは山の向こうを指で指した。

「でも、今日はもう遅いから、うちに泊まっていきな。その子も顔がホコリまみれになってるじゃないか、あたしが洗ってやるよ」
「ありがとう、おばさん」
「困ったときはお互い様さ。同じ日本人だから・・・」
日本人離れした体格のおばさんは、そういって、笑った。


エマ。
エマは疲れきって眠り込んでいた。

不思議な子だ、と甘利は思う。
母親を恋しがり、愚図って泣くことは一切無い。
「ママはお仕事で遠い国に行ったんだよ」
という甘利の言葉をそのまま信じているようだった。
子供は7歳までは神。
そんな言葉を思い出していた。

それにしても、我ながら思い切ったことをしたもんだ。
スパイを辞めて、エマを育てようだなんて・・・。
なぜ、そんな衝動に駆られたのか、言葉で説明するのは不可能だ。
ただ、シンシアと交わした約束・・・それを護るため。
D機関の任務よりも、それが大切に思えたから・・・。

D機関。
スパイを辞める旨を打電しただけで、甘利は姿を消した。
許可などもらえるはずが無いのだ。簡単に抜けられるような組織ではない。
よくて、小田切のように昇進して死地に赴かされるだけだった。
別にひとりなら、それでも構わなかった。だが、エマがいる。

「あいつ・・・怒ってるだろうな・・・」

甘利はシンガポールにいるはずの田崎を思った。
D機関を辞めれば接点は無い。
おそらく、二度と会えないだろう・・・。

別れの言葉も言わなかった。
それが心残りだった。

翌日から、甘利は、犬とエマをおばさんに預けて、サトウキビ畑での厳しい農作業に取り組んだ。炎天下で、サトウキビを刈り取る仕事だ。体力には自信があるが、もともと都会育ちのプレイボーイである甘利には、想像以上のきつさである。

それでも、我慢して働いた。
エマと暮らす為には、日本人に紛れて肉体労働をするのが一番なのだ。
そう自分に言い聞かせた。













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