拷問は穏やかで紳士的なものだった。
男は、言葉や態度で甘利を脅しながらも、ほとんど甘利の身体に触れることはなかった。だが、それも序章だ。
明日になればもっと、厳しく辛い拷問が待っているに違いない・・・。
甘利はほとんど眠ることができなかった。
強烈なライトを浴びて、自白剤を打たれ、意識は朦朧としているが、失神すると容赦なく水をかけられた。
甘利は常時揺れているような錯覚に悩まされた。
人は睡眠を取らないと神経がずたずたになる。
「貴様は娘を誘拐したのかね」
「貴様はスパイなのかね」
「貴様の恋人は死んだ」
男は定期的にこれらの言葉を繰り返した。
甘利は廃人寸前だった。
尋問部屋と監獄の間をいったりきたりして、影のようにさまようだけだった。
それでも、自分がD機関員であることは、墓場まで持っていくつもりだった。
墓場・・・自分は死ぬのだろうか・・・。
田崎も死んだのかもしれない、そう思うと、生きる目的もわからなくなりそうだった。
何日たったのかわからない。
独房の中でひとりうずくまっていると、黒い虫がはいずっているのを見つけた。
フナ虫だ。
甘利は不審に思った。海にいるはずのフナ虫が、何故この独房に入り込んだのか。
海・・・。
甘利ははっと顔を上げた。
ここは海の上なのだ。収容所だとばかり思い込んでいたこの施設は、大きな船の中であり、独房は船の底なのだ。わずかに揺れるような錯覚は、寝不足のせいとばかり思っていたが、そうではない。実際に揺れているのだ。
だが、一体どこへ連れてゆこうというのだろう・・・?
そこまで考えたとき、甘利の脳裏にある考えが思い浮かんだ。
いつもライトを向けて、自分には消して正体を明かさないあの尋問官。
その神経質なほど完璧な手口は、誰かに似ていないか・・・?
穏やかで紳士的な拷問の手口。
それでいて気が狂うほどの残酷な手口。
たった一つの言葉で、相手の息の根を止める・・・。
「貴方は・・・」
結城さん、という言葉を飲み込んだ。
ライトの向こうでわずかに身じろぎをする音がした。
「こちらも拷問に飽きてきたところだった」
ライトの灯りが消されると、辺りは闇に包まれた。
「エミリーは・・・」
「甲板で遊んでいる」
「日本に・・・戻れるんですね・・・」
「もうすぐ船は横浜に着く。余興は終わりだ」
立ち上がる音がした。
「田崎・・・田崎は・・・」
「無事といえば無事だが・・・ちょっとした問題がある」
「問題?」
「奴は記憶を失くした・・・貴様のことは愚か、D機関のことも、何も覚えてはいない」
「会えますか」
結城中佐が振り返る気配がした。
「貴様はとりあえず寝ろ。病人がふたりになっては敵わんからな」