「やめろって、何が?」
メラニーは尋ねた。
「こんな風に俺を尋ねては、くだらない作り話で時間を浪費することをだ」
「くだらない作り話って・・・ひどいわ」
メラニーは草色の目を曇らせた。
「御手洗には君と結婚するつもりはないし、君も、華族とはいえ、日本人なんかと結婚するつもりは、さらさらないんだろう?」
俺が指摘すると、メラニーは俯いた。
顔の表情は見えない。
「貴方は・・・なにを知っているの?」
「俺の知る限り、君はタイピストじゃない」
俺は、メラニーの手をとった。
「君は爪は短くしているが、指にタコがない。それを隠す為の手袋すらしていない。タイピストは手を隠すものだ。君の手は綺麗過ぎる」
「離して・・・」
メラニーは呟いた。
「初めて会った時、君は俺の後ろに立ちながらも、まるで殺気を感じさせなかった。なぜか?君は殺気を消せるんだ。・・・つまり、プロってことさ」
「何の話か、わからないわ」
「とぼけても無駄だ。アイスピックで指されたくらいで意識を失ったのは、その刺しどころが正確に背中の急所を押さえていたからだ。君は途中で人違いと気がついて、傷が浅かったから死なずに済んだが、そうでなければ今頃俺は墓の中だろうな」
「どうして・・・そんな、ひどい作り話をするの?」
「それだけじゃない。君は俺を訪ねるふりをして、引き出しやら戸棚やらを調べていくのを俺は知っていたよ。結論からいうと、君はスパイなんだ。英国に留学している怪しい日本人学生に近づいては、証拠を持ち去っていく。場合によっては、身体を使ってね。それが君の仕事だ」
「そうよ」
ふいに、メラニーは俺の手を振り払い、同時に俺に縋りついた。
「あたしは英国のスパイなの。金で雇われたスパイ・・・いままでの話は全部でたらめよ。でもね・・・これだけは本当」
メラニーはきっと顔を持ち上げ、今まで見せた中で一番の笑顔で言った。
「貴方が・・・貴方が好き・・・」
それは、いままで印象に欠けると思っていた俺には、別人かと思われるくらいに美しい顔だった。赤い唇が、俺の唇に重なった。
「さよなら・・・<公爵>!」
叫ぶ間もなかった。
メラニーは身体を翻すと、窓ガラスを突き破り、バルコニーの下へ落ちていった。