まだ心臓が痛い。
一瞬、氷の手で掴まれた様に、心臓が冷えた。
あれは一体なんだったのだろう・・・?

「人殺しだって言ったろう?」
リチャードはこともなげに言った。
「去年もひとり、女が奴の家の窓から身を投げた。もっとも、突き落とされたのだとしても不思議はないね」
「なぜそんなことを君が知ってる?」

「女の身内が、たまたまうちの使用人の親戚だったんだ。階級の低い女に手を出して、妊娠でもさせたんじゃないか?面倒になり、殺した」
「・・・・・・」
「下世話な事件だから君の耳には入れるまいと思ったが、君が奴の犠牲になると思うと放ってもおけない」
そういいながら、リチャードは緑色のビリヤード台の上に身を乗り出し、白い手玉をキューで突いた。
カラフルな的玉は綺麗に分かれて転がり、それぞれの穴に落ちた。


「兎の穴に落ちた、不思議の国のアリス・・・禁断のケーキを食べたせいで屋根を突き破り、どこまでも増長するアリス・・・」

「彼のことを言ってるの?君は有崎が嫌いだったね」
ラドクリフがグレイの瞳をリチャードに向けると、
「嫌い、なんて感情はないよ。僕は英国紳士だからね」
「嘘だ。君は彼を憎んでいる」

「・・・君の視線が彼に奪われるようになったこの一年、僕がどんな気持ちだったか、君には分かるまい」
リチャードはキューを立てて、テーブルから上半身を起こした。

「・・・僕らは付き合ってた頃もあるけど、今はいい友人だよね?」

「君はずるいな。友人とは便利な言葉だ」
金色の髪をかきあげて、リチャードは皮肉に顔をゆがめた。
「友人は利用するものだって、君が言ったんだよ」
ラドクリフは壁にもたれたまま、ポケットに手を入れている。
リチャードは一人でビリヤードを続けた。

「僕も罪なことを言ったもんだ。君は僕にそう言われて、僕を利用し続けている・・・」



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