僕はドイツに向かう船のデッキで、宗像を思い出していた。

側にいるとうっとうしいくらいだが、こうして離れてみると、既にもう懐かしくさえある。
煙草を吸おうと、煙草を銜え、マッチを探したが、なかった。

「どうぞ」
横から、滑るように差し出された火をつけて、相手の顔を見ると、年頃は20台半ばくらいの、日本人の青年だった。
「どうも」
礼を言って、煙草をふかしていると、相手の視線を感じた。

「?どこかでお会いしましたか」
居心地が悪くなって、そう尋ねると、
「いや、お会いするのは初めてですが、貴方は実に絵になりますね」
耳元で囁くように、言う。
「実は先ほどから眺めていたんですよ。綺麗な人だなあって。話しかけるチャンスを伺っていたんです」
男は長身で、長い髪をひとつに束ねていた。
時代遅れの芸術家といったところだろうか。
「それはどうも」
船の旅は退屈で、時間はいくらでもある。
誰もが話し相手を欲しがっている。
「不躾ですが、もしよろしければ、絵のモデルになっていただけませんか」
「えっ・・・」
モデルは困る。僕がここにいた証拠が残ってしまう。
「それはちょっと・・・困ります」
「そうですか?残念だな。あ、でも気にしないでください。言ってみただけです」
男は陽気に言って、両手を広げて左右に振ってみせた。

「僕は絵の勉強に欧羅巴を回ります。貴方はお仕事ですか?」
「まあ、そんなところです。僕は美術商で・・・」
「奇遇ですね。僕も美術の話は大好きなんです。好かったら一緒にお茶でもいかがですか?僕の部屋はすぐそこです」
僕は苦笑した。
地味な服を着て、なるべく目立たないように隅に立ち、気配も消していたはずだ。
だが、こんな奴に捕まってしまった。
僕もまだまだだな。綺麗な顔立ちまでは誤魔化しようがない。

「お茶だけなら」
僕はそう断って、男の後についていった。









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