大きな栗のー木のしたでー
あーなーたーとわーたーしー
なーかーよーく裏切ったー
大きな栗のー木のしたでー

頭の中を同じ歌が流れている。

「過去のコントロールに関する党のスローガンを言ってみろ」
福本が言った。
「<過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする>」
「そうだ。君の意見はどうだ。過去は実在するか?」
俺は沈黙した。
「過去は実在すると仮定して、過去はどこに存在する?」
「記録の中に。人々の記憶の中に」
「われわれは全ての記録をコントロールして、人々の記憶もコントロールしている。それならば過去をコントロールしていることにはならないか?」
「不可能だ。記録はともかく記憶は・・・人々の記憶は」
「党に不可能はない」
「嘘だ。現に俺の記憶だってコントロールできていない」
福本の視線にいらだたしいものが混じった。
福本は俺の顔を持ち上げて、瞳を覗き込んだ。
「いいか、小田切。現実は人間の精神にのみ存在するんだ。ただし個人の精神の中にではない。個人の精神は間違いを犯すし、時間が経つと消える。だが、党の精神は永遠に不滅であり、国民全体の総意なのだ。党の精神が、絶対の真実なのだ。君が学びなおさなければならないのはそこだ。君には謙虚さが欠けている」
福本は俺の顔から手を離すと、背中を向けた。
「君は日記に書いた。2たす2は4であるといえるのが自由だと」
「ああ」
違う。
福本は<思考警察>の手先で、俺の<思考犯罪>を暴き立てることを目的としているわけじゃない。ただ、嫉妬に駆られて俺を苛めたいだけなんだ。
急にそんな考えが脳裏に浮かんで、俺は当惑した。

大きな栗のー木の下でー
あーなーたーとわーたーしー
なーかーよーく裏切ったー
大きな栗のー木のしたでー

福本の唇を受けている最中も、その歌が繰り返し頭の中を流れた。
福本のキスは、血の味がした。








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